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亡き母を想う!

娘のオカンに逢える事を信じて頑張ったが、叶わぬまま逝ってしまったオモニの半年目の月命日亡くなったと知らせがあった時は寂しく泣いたが、そんなに何時までも悲しい感情が無いのが当たり前なのかもと思う。

オカンが1歳の時に離婚で、6年生の時に母は家族と一緒に北朝鮮に行き、そのまま逢えぬ人になってしまったが、互いに逢える事を信じていただけに残念である。

母にオカンと耕祐の幸せそうな写真を送る事が楽しみだったけど、もうそれも出来なくてオカンが苦労している事を何時も案じて手紙で詫びる母だった。

オカンは上品さも無いが、何となく優しくて・洋裁が好きだったのは覚えている。もしも、オモニが日本に居たら逢えていただろうし、料理・洋裁・子の育て方等を教えて貰えていただろうなぁと、苦労している時は恨んだ事もあるが、今こうして耕祐と楽しく暮らせているので「産んでくれて有難う」の気持ちである。耕祐を30年も掛かったが引き取って一緒に暮らせている事の報告が出来たので良かった思う。

耕祐が一泊旅行の宴会で歌う曲を選ぶ時に「イムジン河」をリクエストして録音したのを覚え、母の遺影にオンチだけど涙しながら歌い一人寂しく泣く。

「恋しきは 亡き母を想い この歳で 薄れし記憶 辿る懐かし」

「枯れしきは 母に感謝 花言葉 カーネションで 愛込め無念」

両親に育てられていたら、世間の常識が身についていたんだろうか

娘達に云われた言葉【私等はオカンに情操教育も常識も教えて貰ってない!社会に出て学んだ】だと。オカンは社会に出て、50年も経つのにとオカン自身が教わろうとの意識の無さに情ない何時も無学だからと逃げ口上のオカン。

耕祐はデイに行くその間にシーツ交換と医療器具を除菌して、洗濯と虫がこないように部屋に薬をまいておくのが火曜日の日課である。

耕祐は16日の【医療的ケアのシンポジウム】後も体調に変わりなくて、耕祐自身が体調管理をしているように感じる
やっぱしオカンは駄目母やなぁと君を見ていると思い、君に教えられた老後の生活に満足な生活に甘んじながら「耕祐基金」で君の生きてきた証を残したい

日本の都道府県に君の存在を障害施設に足跡を残したいのが今のオカンの心境。
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プロフィール

シサムの桜

Author:シサムの桜
1950年生まれ*
性格は気が早いのが短所*
現在はボランティアと福祉を
目指すのが生き甲斐と感じて
いるオカンです。

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