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思春期!

「空を見て 自然の中と 感じしは 星の輝きが ダイヤモンドと」

「長良川 花火と鵜飼 金華山 岐阜名勝 自然ふれあい」

岐阜に行ってからは、更なる出来事が待ち受けていた。2階に大きな家だったが、父が居なくなれば家賃が払えずでいきなりだが、大家さんの計らいで4畳半の部屋に住める事になったが、祖母とオカン・4人の幼き弟の生活が始まる。シングルの布団を2つ敷けばめいっぱいで有り6人が互いずつ逆に寝る形である。

その頃のオカンは中学1年生の2学期が終る頃で、その時から、朝刊の新聞配達をしたが現在のようにポスト受けなんか無く、玄関の引き戸の隙間から新聞をいれなければならない。新聞配達は雨が降ろうと雪が降ろうと台風が来ようと休む事は出来ない。月に幾ら貰っていたんだろうか?オカンの自由になんってならなく全てを祖母に手渡せなければならない。

生きているオカン等には芋がゆだけなのに、何で法事には食べた事も無い果物・肉等でいっぱいであるが、参りに来た方達にお下がりでもってかえらして、オカン達の口には入らないだから、オカンは亡くなった方に供えるしきたりに反して法事はしたくないと抵抗をし続けてきた事が、後に先祖を大事にしなかった罰を受ける事になったんだろうか?

とにかく家を出たかった

15歳になり、学校に行ってなかっても一応は転絞手続きはしているので、義務教育なので中学校卒業証書は貰えたが、大家さんが自分の所で働くようにと云われ断ったら、又してもセクハラを受けかけた後は嫌がらせである。

一応は学校から就職の斡旋をうけたが、祖母の命令で「下張り」の仕事をやらされた。一人前で腕の良い方は、手取りが良いからであり、元々オカンの家業がそうだってので知っていたが、不器用なオカンは針を上手く指指しに指して縫う事が出来ないが、同じ工程の仕事は嫌なので必死に手は動かして次の工程の仕事させて貰う為に頑張った。8時から23時頃まで働いて日当は500円である。
給料日になると祖母が取りに来て、僅かな小ずかいだけを貰っておりオカンはもう嫌で限界に達していたが、可愛い弟を置いて家を出る事さえ出来ない。

丁度、その頃に東京オリンピックが始まって日本中は歓声ムードだったなぁ!

何故か、今度は父に引き取られてが、その時の父はタクシーの運転手で3度目の結婚をしており腹違いの弟が二人いた。仕事は同じ紳士服の下張りで、父に紹介されたところで働かされ給料は祖母から父に変わっただけで、幼い二人の面倒で、職場の人達とボーリングに行く事になり連絡したのに帰宅すると激怒の父で「明日から仕事に行かず家におれ!」と云われ、19歳の時に外国人登録証と8千円をくつ下に隠して、家を飛び出す決意を固めていたので様子を伺って家を飛びだした。

別に付き合っていた訳でもないが、迷惑が掛からないようにと思って電話をした方と「駆け落ち」という形になってしまった。この時にすでにオカンには違う意味の苦しみを経験する羽目になってしまった
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プロフィール

シサムの桜

Author:シサムの桜
1950年生まれ*
性格は気が早いのが短所*
現在はボランティアと福祉を
目指すのが生き甲斐と感じて
いるオカンです。

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