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離婚期!

「運命は 残酷なりし 何故ゆえに 苦しめる路 導くなりて」

「時は経ち 芽生えし命 日々育つ 産む躊躇いは シングルマザー」

家をひとりで出て、娘の居ない寂しさでキチンと生活できているのかの心配はあったが、暴力から逃れられた安堵感があり気楽であった。休まずに仕事に行けばオカン一人での生活には充分な給料である。

保育園の同僚の家に住ませてもらっていたが、周りの地元の同僚は「朝鮮人と一緒に住んでって気持ち悪く無いの?」と云われていたそうだった。

その方は母子家庭、二人の娘さんと3人暮らしだった。仲が良かったのでオカンが暴力を受けている事を知っていたので心良く助けてくれた。子供の養育費も送られてきていたので、結構と裕福な生活をおくっていたから話し相手にオカンが丁度よかったのかも知れないなぁ。

それと、資格も無く中卒と云う共通するところが似合っており、園での愚痴などを聞くのがオカンの役目だったように思う。

1ヵ月半近くなりオカンの身体の異変に気付く。ひょっとしたら?が的中だった。長女を産んだ後にオカンは悲しいが3人の子を中絶している。

何でまたなぁん!と心の中で絶叫しながら「お願い産まれて来ないで!」と、お腹を叩き飛んだりしながら、ながれてくれる事を願った子が息子である。それでも息子は日々お腹の中でスクスクと育つが、5ヵ月になるまでオカンは無理をしながら産まれないでと残酷にも願い続けざる得なかった。
当時は保育園勤務と云う事で、未婚で産む事は許されない時代だった。お腹も目立つようになり隠しきれなくなっており、園長から「このままでは務める事は無理だから、復縁をするか?園を辞めるか?」と問い詰められた。
オカンが暴力を受けている事は、園には隠していたのでオカンの我儘で離婚と思われても仕方がなかった。

オカンは生活を保障される所で働いたのは初めてであったし、保母の資格を取りたい気持ちと長女に逢いたい気持ちで地獄の生活に戻る決心をした。
復縁した始めは暴力は無かったが相変わらず働かない。オカンの給料でどうにか生活はできていたので、働きてが、戻って来るんだから相手は復縁を望んでいたのは判っていたが、仕事を終えて時間とおりに戻らないと言葉の暴力であり、まだ洗濯機も無い状態は自分の欲しい物を優先して買うからである。
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プロフィール

シサムの桜

Author:シサムの桜
1950年生まれ*
性格は気が早いのが短所*
現在はボランティアと福祉を
目指すのが生き甲斐と感じて
いるオカンです。

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