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逃亡期!

「幼子を 家なきなりて 生きる術 働くのみが 方法なりき」

「離れてが 寂しく辛い 引き取るは お金必要 寝ずに働く」

転出届けも出していないのに、1年も経たずに居場所みつかる。働く事もしないのに捜す執念にオカンは蒼白になった。右京区修学院から上久世の小学校に事情を話して仮転絞で長女を通わしていたが、引っ越し貧乏で、今度は上鳥羽に引っ越し、安心もつかの間である。又しても直ぐに見つかり、原因は電話であった。

その頃は、問い合わせで電話番号も住所も教えてくれた時代であった。
DVの恐ろしさであり、現在のように知れ渡っていなくって誰も理解できない。会社の側に住んでいたので、社長が見かねて寮に親子で住ませてくれたが男子寮であり、此処も直ぐにばれてしまっていたが警備保障が施されていたので、勝手には入って来れないが酔っぱらって玄関で暴れていたので、警察に連れていかれたらしい。

DVの独特の判れ話しになると泣いて土下座をする。「今度こそは!もうしないと」いい訳をしても直りはしない。繰り返し繰り返し同じことである。オカンは10年近く我慢をしたので、もう決して引き戻る事は無いと心に堅く決めていた。

長女は3年生で次女は保育園の年長になっていたので、無残な光景は見せたくは無い。長女は全てを覚えている。働かないので、お金もせびり平気で持って行く。

何時になればオカンと子供達の、幸せが来るのかなんって在り得ない絶望感の中で憔悴しきっているが、働らなければならない。息子との約束を果たしていない。だけど、息子は施設に居る方が安全である。

3人の子供を連れて逃げ切れないし、又、捜しだされる恐怖感で安堵する気持ちなんって全く無かったなぁ。
娘達には、本当に辛く苦しい思いをさせたと母親失格のオカン。

そんな生活から逃れたのは5年経て42歳の若さで亡くなったから。オカンは28歳の時に家を出て33歳になっていた。この時の15年近くはオカンンは何の為の人生だったの?19歳から33歳までの時期、暴力に耐え働き蜂のように過ごした。そして現在まで良く頑張ったと思う。オカンが自分で褒めな誰も褒めてくれないもんなぁ。
娘二人が、反抗期はあったがぐれる事も無く良く頑張ってくれたと感謝の気持ちがあるから、これ以上、息子とオカンの事で苦労させたくないと思う。

今まで頑張って生きてきたからこそ、息子とオカンの人生は最高だと思い支援の方達にも心から感謝をしたい本当に有難うね。
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プロフィール

シサムの桜

Author:シサムの桜
1950年生まれ*
性格は気が早いのが短所*
現在はボランティアと福祉を
目指すのが生き甲斐と感じて
いるオカンです。

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