スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ひとりボランティア!

オカンがボランティアを始めたきっかけは【故郷の家】が最初だった。

ヘルパー実習講座で向島の特養に行った時に、親がお世話になり亡くなったのでとボランティアに習2回来ていると云う方が2名居られ、食事介助・入浴後の手伝い・デイ後の後かたずけをされていたのを見て、仕事一筋だったオカンも何か役に立つ事がしたくなった。履歴書を持って「故郷の家」で面接を受けて習1回だが行く事になったが、耕ちゃんのデイの火曜日にしたが、4時間半しかできないので中途半端だったと思う。

最初にさせて頂いたのは、オカンの思惑と外れていたが別に出来る事なのでやらせて貰ったのが、祭り用のハッピ作りだったが、習1回では期日までに間に合わないので「家に持って帰って縫っても良いですか?」でOKを頂き、耕ちゃんの介護の間に期日前の3日間に仕上げた枚数50枚である。

襟芯・生地の色にあわせた糸等・アイロン・ミシンの電気代と自腹で作りあげたのに、少し残念な気持ちになったのは事実である。ボランティアするのは見返りを求めるものではない事は判っている。

行事がある度にハッピを着てくれて居る姿を見ると、オカンしか判らないが嬉しく思いながら、求めるのじゃなくオカンさえ知っていれば良い事だと気付いただけでも良い。

耕ちゃんにシゲのおっちゃんも、田内千鶴子さん(ユンハクチャ)も高知県須崎市の出身なので、災害義援金で故郷の家に届けようなぁと云うと笑顔であり、No・7を耕ちゃんと一緒に行って施設長に手渡したいが、支援が必要になるのでオカン一人で行こうと思う。事務的処理でミスがあり過払いが発生している1万2千円も寄付したからシゲさんと、耕ちゃんとオカンの二人三脚だった割には今回の金額は多いと思う。
鄒ゥ謠エ驥托シ励・・托シ難シ・001_convert_20140815063710
鄒ゥ謠エ驥托シ励・・托シ難シ・004_convert_20140815064222

「戦争で 他国で孤児を 一人にて 育てあげしは 広大な愛」

「若き頃 何時死んでもと 云いながら 身体不自由 まだ生きたしと」

昨日に来た次女夫婦を見ていると仲の良さが判り、オカンとして嬉しく思いながら娘の歳には、働く事で必死で耕ちゃんを引き取る夢を抱いていたなぁと走馬灯のように浮かぶ。

今朝もバイタル安定でホッとしながら、何時もの第1段階の介護を終えて、訪看さんの来るのを待つ間にオカンは横になるのが日課である。

思い返せば、愛の義援金に沢山の方の協力の元で成り立っているなぁと感謝の気持ちは忘れたくないと改めて思い、No・10までは頑張りたいと思う。

今日も天気予報は不安定だが、耕ちゃんは頑張って体温調整をしている姿を見ると、オカンも頑張らなアカンなぁと勇気を貰い、8月も中旬になり月日の経つ早さを感じる。

終戦記念日2度と同じ過ちを起こしてはならない。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

シサムの桜

Author:シサムの桜
1950年生まれ*
性格は気が早いのが短所*
現在はボランティアと福祉を
目指すのが生き甲斐と感じて
いるオカンです。

FC2カウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。