お礼を求めるのは変!?
寄付にお礼を求めるのは、オカンが気持ちよくさせて貰ったのでお礼を求めるのは変だけど、耕祐の名前でさせて貰ったので尚更に悲しい。
親の遺産を貰った訳でもなく、住む家もなくマイナスからのスタートで子どもに犠牲をさせて働いてコツコツと貯めて、寄付をしたが何の礼状も無いのって寂しく感じる。
大袈裟なお礼で無くてよく、小さなお礼に期待するオカンが可笑しいのだろうか?
褒めれれたい気持ちは、オカンの幼き頃の環境に問題があり、出来の悪いオカンは親に褒めて欲しいという気持ちがあって、大人になっても褒められたいと思う気持ちはある。
某居宅事業所が寄付を募っていたので、遣らせて頂いたが何の礼状もなく、2回目は出資金5万円のお願がメールできたが無視させて頂いたのには、原因があり1回目の時に賀状が届くわけでも無く、居宅事業所のパンフレット・通信が届いきもしない。
そんな時期から4年経って、オカンの想いで5万円を寄付したが相変わらず通信も来ない。普通の人なら何とも思わないだろうが、オカンの場合は心の片隅に残っているから夢にまでみるからやりきれない。
他の障害施設・特養では通信を送ってきてくれ読むのが楽しみで、地域によってはこんな取り組みをしてるんだなぁと学ばされるし子ども達の笑顔にも励まされる。
こんな風に感じるのはオカンの心の乏しさだろうなぁと反省しながら、自分の物差しで測らずに気持ち良く出来る範囲でお陰様と感じるような寄付をしたいと思う。
「控え目に 人の為にと 心から 出来る人なり 花のような夢」
「栗・柿が 売り場に並び 季節感 山もちらほら 色づきなり」
9時前に自転車で整体に向かい終わって帰って来ると、明日に戻って来る耕祐の為に準備を始める。真新しシーツに穴あき枕も洗ってしまい、君の匂いは消えてしまったかもしれないので、僕の部屋と感じるまでに時間がかかるだろうなぁ。
君の帰りを、君の必要な器具が待っているように思うよ。準備OKでオカンはゆっくりと過ごし明日の為に頑張らなくちゃね。
親の遺産を貰った訳でもなく、住む家もなくマイナスからのスタートで子どもに犠牲をさせて働いてコツコツと貯めて、寄付をしたが何の礼状も無いのって寂しく感じる。
大袈裟なお礼で無くてよく、小さなお礼に期待するオカンが可笑しいのだろうか?
褒めれれたい気持ちは、オカンの幼き頃の環境に問題があり、出来の悪いオカンは親に褒めて欲しいという気持ちがあって、大人になっても褒められたいと思う気持ちはある。
某居宅事業所が寄付を募っていたので、遣らせて頂いたが何の礼状もなく、2回目は出資金5万円のお願がメールできたが無視させて頂いたのには、原因があり1回目の時に賀状が届くわけでも無く、居宅事業所のパンフレット・通信が届いきもしない。
そんな時期から4年経って、オカンの想いで5万円を寄付したが相変わらず通信も来ない。普通の人なら何とも思わないだろうが、オカンの場合は心の片隅に残っているから夢にまでみるからやりきれない。
他の障害施設・特養では通信を送ってきてくれ読むのが楽しみで、地域によってはこんな取り組みをしてるんだなぁと学ばされるし子ども達の笑顔にも励まされる。
こんな風に感じるのはオカンの心の乏しさだろうなぁと反省しながら、自分の物差しで測らずに気持ち良く出来る範囲でお陰様と感じるような寄付をしたいと思う。
「控え目に 人の為にと 心から 出来る人なり 花のような夢」
「栗・柿が 売り場に並び 季節感 山もちらほら 色づきなり」
9時前に自転車で整体に向かい終わって帰って来ると、明日に戻って来る耕祐の為に準備を始める。真新しシーツに穴あき枕も洗ってしまい、君の匂いは消えてしまったかもしれないので、僕の部屋と感じるまでに時間がかかるだろうなぁ。
君の帰りを、君の必要な器具が待っているように思うよ。準備OKでオカンはゆっくりと過ごし明日の為に頑張らなくちゃね。
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