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昨日の続き!②

     介護日誌

1時45分に仰臥位である。何時もと変わらずに痰・尿が多量であるが本人は朝のつもりか良く笑うから、しんど

くてもオカンは夜中に起きることが出来る。ディに行くのが楽しみなのか、6時の注入後も起きているし、声を出

してグズグズと文句が始まるが少し何が原因か判らなかったが、暑くて文句を云っていた。長そでだったので腕に

汗が吹き出ていたのが不快だったようで、汗を拭き取ると機嫌が直りウトウトと眠りだす。

16時にディから戻り、真っ赤な表情でオカンは気づくはディで「運呼」無しが判り17時に臭う。

少し時間を置いてオムツ交換をするのは、ソリタ中であるからで17時半にオムツを替え「気持ち良いかぁ」と聞

くと笑顔で応えてくれるから、介護が楽しく出来るんだと思う。19時に夜の注入開始して、パソコンから録画テ

レビに切り替えるオカンで自己中であるが、予感が的中で20時に再び臭う。注入を終えて、最終ケアになるので

オムツ交換で、やっぱり「運呼」と尿であった。20時半に全てを終えるが21時には眠りに入ったのでオカンも

テレビを見るのを諦めて寝る事にする。お休みなさいね、明日は2時半に体位交換の時間設定ををした。


耕祐は2年後に鳥取国立療養所から京都府亀岡の『花の木学園』に転院で5歳だった。

月に1度の面会に、鳥取に行くには交通費・時間が掛かり3時から働くオカンには体力的に辛かったので、

児相に申し入れをしていたが、予想より早くに決まり嬉しかった

その頃には、家も借りられて二人の娘は引き取れていた

面会にも月に2度は行けていたが、帰る時は毎回と後髪を引かれる思いは同じで、辛さ・寂しさから、オカンは

ビールを買って飲み、その勢いで帰るが飲酒運転でいい加減な親であったなぁと思いだす


5歳になると【店頭てんかん】も型を替えて、なんていったかは忘れたが、

その頃のオカンは医師を信じていないので、耕祐の関する事であれば、薬の名前からなんでも覚えていた。

医師・病院を信じないと云うのは、最初の病院の院長の事である

生憎にも、素人のオカンが見ても耕祐の異変に気づき院長を呼んでくれと頼むが12月24日で院長は居ない。

今思えばキリスト関係の病院で院長は居無かったが、あの時に診て貰っていたら《化膿性髄膜炎》の診断は

可能だった筈である。その時のオカンは保母助手だったので、耕祐の入院中の記録を漏らさず記入していたが、

その当時は医師の子弟関係が有り、掛かり付けのDrも本音を濁らせて話してくれなかった

生活苦から裁判訴訟も出来ずだが、その当時は訴訟をしても無理だっただろうなぁと思うが悔しい思い

だけが残っている。かなり、本題から逸れているのに気づくオカン。


夏休み・お正月には耕祐を帰省させる楽しみがあったが、今のような症状でなく、高谷先生が書かれているように

耕祐は脳性マヒでは無いが、同じような症状で喘鳴がひどく・呼吸困難・チアノーゼ・後弓反張・夜中には

赤ちゃんのような泣き声で一晩寝かせて貰えない。ミキサー食で2時間近く掛けて食べさせた物も吐かれる。

《花の木学園》から5泊6日の外泊であるが、完全に仕事を休む事は出来ないので、3時から9時迄は行く。

生活費の事もあるが、この時間帯は受注事務の確認をする為には絶対に休む事は無理で、危険を知りつつ

心を鬼にして行かなければならない程の生活苦である。

仕事を終えて耕祐の顔を見るとホットするオカンである


小学校卒業後に帰省して後に、Drから告げられた言葉は

もう、家に連れて帰れません」だった、オカンは茫然となりDrに質問した事は覚えている

答えは「ろうそくの灯が消えるように」の意味が判らない。《老衰》だった。

その後のオカンは自暴自棄でアルコールで誤魔化しの人生で「引き取る」と約束したのにと自分を責めた。

それからは耕祐は毎年秋になれば肺炎を起こしては、点滴・酸素吸入で詰め所の横の部屋での生活が

10年位続き、何度も危篤状態になるかもと連絡を

受けては、涙しながら花の木に向かった耕ちやんガンバだよ」と声を掛けて不安な気持ちを抑えて仕事に戻る。

この時は理解ある人に条件付きで雇われていたので気がねは無くで仕事に没頭する事でオカンの気持ちは複雑。

何時頃に云われたのかは定かではないが、「脳がグシャグシャです」と呼ばれて説明を受けたが動揺の気持ちで

記憶から消してしまった様に思う。過去を思い出させられた

高谷清先生の重い障害を生きるということ


の本でオカンは30年振りにお逢いしたH20年の京都での

医療的ケアネット》の基調講演の高谷先生講演はオカンには衝撃な内容になったと思う。

次回は壮絶な過去を忘れ、楽しい在宅生活を書き記したいと少し休憩する。


「壮絶な 病戦い 在宅で 遅き普通の 生き方をせし」

「支援あり 僕の人生 変わりしは 感謝笑顔 表すなりて」 



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まとめtyaiました【昨日の続き!②】

     (介護日誌)1時45分に仰臥位である。何時もと変わらずに痰・尿が多量であるが本人は朝のつもりか良く笑うから、しんどくてもオカンは夜中に起きることが出来る。ディに行くのが楽しみなのか、6時の注入後も起きているし、声を出してグズグズと文句が始まる...

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プロフィール

シサムの桜

Author:シサムの桜
1950年生まれ*
性格は気が早いのが短所*
現在はボランティアと福祉を
目指すのが生き甲斐と感じて
いるオカンです。

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